高良健吾はイケメンでモテモテ!!学歴・偏差値・エピソードまとめ

高良健吾の学歴や通っていた大学や高校の情報やエピソード、偏差値に関する情報を調べてまとめました。

高良健吾のプロフィール

  • 生年月日:1987年11月12日
  • 星座:蠍座
  • 身長:176㎝
  • 血液型:O型
  • 出身地:熊本県熊本市中央区
  • 所属事務所:テンカラット
  • 最終学歴:高校卒業

    高良健吾の学歴と偏差値まとめ

    • 高校:熊本県九州学院高校 偏差値56
    • 中学校:熊本県熊本市立江南中学校

      高良健吾の代表作

      • ドラマ「おひさま」 丸山和成役
      • ドラマ「花燃ゆ」 高杉晋作役
      • ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」 曽田練役
      • 映画「蛇にピアス」 アマ役
      • 映画「ソラニン」 種田成男役
      • 映画「おにいちゃんのハナビ」 須藤太郎役
        目次

        高良健吾の学歴は九州学院高校(熊本県)偏差値56

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        高良健吾が通っていた高校は、熊本県にある九州学院高校です。

        住所:〒862-0971熊本県熊本市中央区大江5-2-1

        偏差値は56で、やや難易度の高い学校です

        九州学院高校と同じ偏差値の学校

        • 白梅学園高等学校
        • 東京成徳大学高等学校
        • 淑徳巣鴨高等学校

        九州学院高等学校は、「プログレスクラス」「アドバンスクラス」「アスリートクラス」の3つの履修クラスがあり、進路に沿って文系・理系に分かれるなど、学びを深めることが出来る学校です。

        高良健吾と同じ九州学院高校の卒業生

        名前 職業 進学先
        岡山恭崇 元バスケットボール選手 大阪商業大学
        宮本靖子 競泳選手 東洋大学

        高良健吾の高校時代のエピソード

        中学を卒業後、高良健吾さんは「私立 九州学院高校」へ進学します。同校は、1911年開校のキリスト教系の学校で、サッカー部や硬式野球部の強豪校としても知られています。

        高校1年生の時には、高良さんもサッカー部へ在籍しています。後に退部していて、理由は定かではありませんが、目標がなく彷徨っていた時期だったのかもしれません。

        高良さんは、当時スカウトをされて芸能界入りをされていますが、その時のことをインタビューで語っています。

        僕がこの世界に入ったきっかけが、街を歩いていたら雑誌の人に声をかけられたからなんです。「雑誌の1ページを高校生が作るっていう企画があるんだけど、やってみない?」って誘われたんですよね。興味はなかったんですが、面白そうだしやってみようかなって。そうしたら、その雑誌の編集長が今の事務所の社長を紹介してくれて。

        はじめは、アルバイト感覚で始めたといいます。当時、映画を見ることが増え、漠然と映画に対しての興味が湧いていたことがキッカケだったそうです。

        高校2・3年の担任だった日吉先生は、当時の高良さんについて振り返っています。

        最初に会った頃の彼は授業中もボーっとしていて、目標もない。まるで餌を探して彷徨う、飢えた野良犬のようでした。1年の時はサッカー部だったみたいですが、途中で辞めてしまってね。引きこもりというか、ちょっと学校に出てこない時期もあったようです。

        しかしその後、状況は一変します。気の許せるクラスメイトに出会い、俳優デビューも決定したといいます。気の置けない仲間の存在が、明るく笑顔に溢れた日常を取り戻させ、前向きになった事で、状況が好転したのかもしれませんね。

        高校2年生の時には、芸能活動で忙しく、東京の高校へ転校を勧められたこともあったそうです。ギリギリ進級できるかどうかの瀬戸際だったそうですが、この学校が好きだった高良さんは、通学し続けたといいます。学校終わりに、そのまま東京の仕事に向かうこともあったようです。

        高良さんは、自身の高校時代を振り返り「リア充だった」とインタビューで明かしています。

        いつもくだらない話をして笑っていましたね。カラオケに行って大騒ぎしたり、毎日好き勝手に、自由にマイペースに生きていました。

        この頃の友人とは、今でもとても仲がいいそうです。まさにリア充、仕事よりも学校生活を楽しく過ごしていたようですね、笑。

        イケメン俳優の高良さんは、高校時代からモテモテでした。当時の交際相手は、今でも女優として活躍されている「今村美乃さん」でした。

        今村さんは、当時、別の高校へ通学していたものの、熊本を中心にモデルとして活動しています。今村さんが通学していた学校は、高良さんの出身地である「熊本市中央区にある中高一貫校だった」ことから、共通の友人など、交流があったのかもしれませんね。

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        しかし、二人の交際は5年程で破局を迎えました。高良さんが上京したことで、すれ違いが増えたことが破局の原因では?と言われています。

        高校3年生だった2005年、ドラマ「ごくせん」で俳優デビューを果たします。それまで、モデルとしての活動が中心だったことから、あまり出番は多くなかったようです。とても人気のドラマだったので、主要キャストではないものの、とても貴重な経験になったのではないでしょうか。

        高校卒業後は、大学進学はせず、芸能活動に専念しています。そのため、上京して本格的に俳優活動に専念します。

        21歳だった2008年、映画「蛇にピアス」に出演。蜷川幸雄監督が手掛けた作品ということもあり、出演後、俳優としても注目を集めます。

        また、同作品のとあるシーンから「高良さんの筋肉がすごい!」と話題になっています。上半身がわかるシーンなのですが、綺麗に腹筋が割れていることを確認することができます。モデル経験があるとはいえ、普段からストイックに管理をしていないと、手に入らないような綺麗な腹筋だと思います!

        2012年、映画「軽蔑」で日本アカデミー賞新人賞を受賞しています。主演映画での受賞で、俳優としての人気も実力も確実なものにしています。

        2016年4月14日、16日に発生した「熊本地震」では、胸を痛め、身を引き裂かれるような思いだったといいます。熊本に生まれ、中学2年生から高校卒業までを過ごし、今でも熊本市の「わくわく親善大使」を務めている高良さん。とてもショッキングな出来事だったと思います。

        自身のブログで、震災後の熊本に対する思いを述べています。

        自分の大切にしている場所が大変なことになってて。九州のみなさんが心配です。熊本のみなさんが心配です。

        熊本地震の発生後、2016年4月18日には、高良さん自ら避難所まで慰問に訪れています。慰問先は、九州学院高校時代の恩師が避難した「熊本市立高橋小学校」でした。恩師と相談し、給水車で2tの水を届けたといいます。避難所にいた方達にとって、高良さんの行動はとても嬉しく、心の支えとなったに違いありません。

         

        高良健吾の学歴は熊本市立江南中学校(熊本県)

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        高良健吾が通っていた中学校は、熊本県にある熊本市立江南中学校です。

        住所:〒860-0822 熊本県熊本市中央区本山町75

        熊本市立江南中学校は、自ら考え主体的に行動できる力を育む教育を推進する学校です。

        高良健吾と同じ熊本市立江南中学の卒業生

        名前 職業 進学先
        EXILE NESMITH 歌手 熊本県勇心館高校 中退
        井出らっきょ 芸人、実業家 熊本県立第二高等学校

        高良健吾の中学時代のエピソード

        小学校を卒業した高良さんは、熊本市立江南中学校へ進学しています。

        中学時代の高良さんは、音楽を頻繁に聴くようになったとインタビューで明かしています。

        中学2年の時に友達が「さくらの唄」というアルバムを貸してくれたときに衝撃を受けて、そこから音楽を聴くようになった。

        高良さんは、中学2年生の春休みに地元熊本に戻り、江南中学校へ転入しています。そして、同校へ転入後すぐに軟式テニス部へ入部し、部活動をスタートしています。

        高良さんは、小学生時代から転校を繰り返していました。しかし、モテモテだった高良さんは、転校する度に「イケメンが転校してきた」と話題になったそうです。ある日突然、顔面偏差値の高い同級生がやってきたら、周りの学生もさぞかしビックリしたことでしょう。

        高良健吾の小学校・幼少期のエピソード

        高良さんの出身小学校は、発表されておらず不明です。

        家族構成は、父、母、兄の4人家族です。

        父親は、旅行会社のサラリーマン。そのため、転勤も多く、九州各地を転々としており、転校も多かったそうです。

        高良さんは、当時の心境をインタビューで明かしています。

        僕も転勤族だったので、そのことで親に反抗したこともあったし、少しだけ引きこもった時期もあった。

        小学校時代の高良さんは、内気な少年だったといいます。学芸会の演劇では、「台詞を言いたくないから」と銅像役に立候補したこともあったのだとか。今では全く想像もつきませんね、笑。

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